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STORY

 

熱中ニッポン vol.2
日本のイチゴは負けている?
年間1万人が訪れるITイチゴ農園の挑戦

 

 
 
“ニッポン”を熱くするリーダーを紹介する、熱中ニッポン。第2回目は、高級イチゴの代表格、食べる宝石「ミガキイチゴ」の生みの親である農業生産法人 株式会社GRA CEO岩佐大輝氏にインタビュー。

糖度が高く、色や形が美しい日本のイチゴ。最近ではムンバイや香港などで高級イチゴが高値で取引されています。また、タイ、台湾では訪日旅行のイチゴ狩りがソーシャルメディアで話題沸騰。日本のイチゴ農園は、外国人観光客が押し寄せる人気観光スポットになっています。

しかし、岩佐氏は今の日本のイチゴについて、大きな危機感を持っています。その理由とは、いったいなぜなのでしょうか。

 

「あまおう」とどう違う?「ミガキイチゴ」

 

 — 食べる宝石ミガキイチゴ。まずは、その特徴について教えてください。


岩佐:ミガキイチゴは、宮城県山元町で栽培されたイチゴのブランドです。お客様に一番イチゴが美味しいタイミングで食べていただくため、完熟ギリギリまで収穫せず、熟練のイチゴマイスターがベストだと見極めたタイミングで朝摘みしています。ミガキイチゴはどれも抜群の香りと甘さがありますが、最高クラスのイチゴをプラチナ、ゴールド、シルバーとグレードを分けて販売しています。1株から獲れるイチゴの数は50個ほどですが、「プラチナ」として出荷できるレベルのイチゴは、そのうちのたった1個程度でしかありません。
 


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収穫したばかりのミガキイチゴを持つ岩佐氏

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ひと粒1000円のミガキイチゴプラチナ

 — イチゴといえば「あまおう」「スカイベリー」など多くの品種があります。高級イチゴブランドの中で「ミガキイチゴ」はどのような存在でしょうか。

「ミガキイチゴ」は宮城県山元町で栽培された、上質な複数品種のイチゴの“地域ブランド”です。「とちおとめ」「もういっこ」など、その時期に最も美味しい品種をGRAの農場から直接、お客様のもとへお届けしています。

一般的によく知られている「あまおう」「とよのか」などは“品種ブランド”。品種ブランドで生産していると、どうしてもその品種の特性に左右され、時期により味や形にブレがあります。ブランドというのはお客様への約束だとすると、同じクオリティのイチゴを通年提供しなくてはいけない。これが「ミガキイチゴ」というブランドの大前提の考え方になります。そこで、私たちは複数品種のイチゴを職人とITの技術を組み合わせた最先端農園で生産し、高品質の「ミガキイチゴ」ブランドとして提供しています。また、地域ブランドにすることで、日本の、東北の、山元町で生まれたというストーリーと語ることができる。これも大きなメリットです。


 —  なぜ、「ミガキイチゴ」という名前に?

山元町はもともとイチゴの産地で、多くのイチゴ農家がハウス栽培をしていました。それが東日本大震災で、津波の被害により4,000棟余の家屋が全半壊し、多くのイチゴ農家が壊滅的な被害を受けました。そんな山元町で、震災直後にイチゴ栽培を始めました。山元町のイチゴはもともととても美味しかった。でも、まだ原石だな、と思いました。なぜなら、震災前のイチゴは職人のカンと経験で栽培されていたからです。
 
伝統的な職人の技に、IT、サイエンスのアプローチを組み合わせば、美味しさはもっと磨かれて宝石になり、安定供給が可能になる、私たちはそう考えました。ダイヤモンドは、最初はただの原石。それを磨き上げることで光り輝くダイヤモンドになる。そんな思いを込めて、「ミガキイチゴ」という名前をつけました。パッケージに描かれている「ミガキイチゴ」のキービジュアルも、ダイヤモンドの形をしたイチゴにしています。


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ダイヤモンドをモチーフにしたパッケージデザイン
 

世界から年間1万人が訪れるITイチゴ農園


 —  訪日旅行でのイチゴ狩りは外国人観光客に人気ですが?

私たちGRAでもイチゴ狩りを実施しています。昨日は、台湾からブロガーが来てくれたのですが、「日本旅行の中でここが一番楽しかった!と言ってくれました。その後、Webサイトのアクセス数が一気に伸びました。また、海外から映像作家の方も来てくれています。こうしたクチコミやメディアの力も借りて、ミガキイチゴのイチゴ狩りを目指して、外国人観光客が山元町を訪問するようになってきているのです。

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海外の映像作家も農園を訪問
 

 — 具体的にどの位の人が訪れていますか?

GRAでは先端農場ツアーもやっていて、世界各国から視察のお客様がいらっしゃいます。たとえばサウジアラジアからも農場の視察に来ています。人口1万人の山元町が、年間1万人の訪れる地になっています。
どんなに僻地でも優れたモノ、技術があれば必ず人は来ます。お金もまた、優れたビジネスや優れた人物がいれば僻地でも飛んでくるものです。山元町には今後、世界からより多くの人が来るでしょう。


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広いイチゴ農園をセグウェイで移動する
 
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農園内の湿度や二酸化炭素量をIT技術で管理

 

 

インドや香港 海外での手ごたえ


  — ターゲットを外国人とした場合のアクションは?

2015年12月から、シンガポールと香港の販路に「ミガキイチゴ」を流通させるプロジェクトをスタートしています。香港の商談会では多くのバイヤーさんとお話しできましたし、シンガポールでは伊勢丹スコッツ店でミガキイチゴのフェア台を出してもらいまして、現地のお客さまから多くのヒントをもらいました。国内ですと、外国人に人気の日本の百貨店にミガキイチゴを置いてもらう、空港などのアプローチを強化するなど課題はまだありますね。
 
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香港での商談会の様子

 — 生フルーツは日持ちがしないというデメリットをどう克服しますか?

「ミガキイチゴ」には、生イチゴ以外にスパークリングワインの「ミガキイチゴ・ムスー」、オーガニックコスメ「白いちご WHITE ICHIGO」などのアイテムがあります。これらのアイテムを全て合わせて「ミガキイチゴ」ブランドであり、通年提供できているのが大きな特徴となっています。これら以外にも、魅力的な商品を開発中です。

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生イチゴだけでなくスパークリングワインと化粧品も展開

 

 

「日本イチゴ」ブームを巻き起こせ!


 — 香港での日本のイチゴ、シェアはどのくらい?

USAと韓国に対して大差で負けていて、日本のイチゴはシェア2.9%しかありません。USAと韓国は国としての統一ブランドで売ってます。国ぐるみですよ。日本はブランドが分散してしまって、戦術的に非常に不利。日本のイチゴは美味しい、というのはある一定の評価があるけれど、個のブランドとして戦っているうちは海外のイチゴに負けてしまいます。

 — では、勝つためにどう戦いますか?

「ミガキイチゴ」だけでなく、「日本イチゴ」ブームを巻き起こします。ジャパンブランドで戦うのが重要です。博多の「あまおう」、栃木の「スカイベリー」など、地域間で勝負して消耗している時間はないですよ。日本の「日本イチゴ」を売るためのマーケティングを、日本全体でやっていかなくては。「日本イチゴのあまおう、ミガキイチゴ」として、イチゴの集団出世主義で海外に出て行きたいと思っています。
 
 —  国内が連携する仕組みは?

これまでは、地域間連携の仕組みがなかったのですが、国と連携して全国に声をかけていきたい。「ミガキイチゴ」はイチゴブランドのワンオブゼムですけど、イチゴを海外に売って行くノウハウを持っています。それを、どんどん広めていきたいですね。ミガキイチゴの成功モデルを見せて、賛同者を増やしていきたいです。
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ジャパンブランドとして売り出す必要性を語る岩佐氏

 

イノベーションを起こし続けるGRA

 

 —  通年でブランド価値を提供するという発想はいつから考えていましたか?

イチゴは通常、11月から5月まで出荷されます。でも、それ以外の期間は供給が途切れるなんて、ブランドとしてもビジネスとしても致命的です。今やっている「ミガキイチゴ」のビジョンの原型は、山元町でイチゴを始める前、IT会社を経営しているときからある程度頭の中にありました。作り手側にしたら、イチゴが冬場だけ出荷されるのは当たり前だけど、消費者がいつでも美味しいイチゴを食べたいと思うのが当たり前。実現に向けて困難はいつもあるけれど、マーケットの声はわかる。だから、困難をどんどんクリアしていくだけです。

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まるで子どもを育てるようにイチゴの生育状況を見守る

 — 震災の翌年にはインドに展開。これも以前から考えていたこと?

インド事業は、ある企業のCSR担当の方から「社会貢献やってみないか?」と誘われたのがきっかけです。津波の後、水もガスも電気もなかった被災地でもできたのだから、インドの農村でもできるのではないか?と言われて。2012年に実際にインドへ行ってみたら、農村は極めて厳しい状況でした。そこで、自分達がやってきた技術が少しでも役に立つのであればスタートしようと。
もちろん、それだけではなく、マクロ的に見てもインドの経済成長は目覚ましいし、需要がおう盛なのに国内生産が追いついておらず、品質が悪い商品が海外から輸入されていたりして、マーケットとしても魅力的でした。社会的な意義とビジネスのポテンシャルが揃ってのインド事業ですね。

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東日本大震災で津波の被害を受けた山元町にそびえ立つミガキイチゴの農園

 —  山元町から突然インド。他にも何か意図があるのでは?

あえて遠い地で、自分とは全く関係のない土地に絡んでおく、多様性を自分の会社の中に持っておくことでイノベーションが起こります。今からイノベーションを起こそうとしたら、積み上げ型のロジカルシンキングではだめ、モダンマーケティングもダメ。すごく遠いもの、違うもの同士が結びつくコ・クリエーション(価値共創)でしかない。このコ・クリエーションとPDCAの高速回転の組み合わせでしか、イノベーションは起こせないと思っています。
 
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ミガキイチゴの最先端技術をインド農村部でも展開

 

農業、観光だけでなく教育でも進化するGRA


 — 将来的なアクションプランは?

山元町は、太平洋に直結してとてもいい波が来る。サーフィンしながら働けます。冬は日照時間が長くて暖かいこの場所で、サーフィンしながら働くようなライフスタイルを提案したい。
それから、国籍に関わらず人が集まれる山元塾という場を作っています。日本中から人を集めてキャリア教育を行う。山元町みたいに過疎化が進む場に3日、身を置いてもらいます。今は大学生、社会人向けに開催していますが、今後は外国人向けにもやろうと思っています。

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岩佐氏自身もサーファーで仕事の合間には海に入る


 

取材後記


「ここがホントにイチゴ農場?」
GRAの最先端農場は以前から知っていましたが、今回はじめてハウスの中に足を踏み入れてみて、最初にそう感じました。無機質で清潔な広いハウスの中に、生命力あふれるイチゴの緑が延々と続く光景。天井からシューシュー出てくる水蒸気でハウス内が満たされ、しっとりとした空気の中にイチゴの甘酸っぱい香りが広がっていく。未来的なようで温かみがある、これまで見たこともないとても不思議な光景でした。震災からもうすぐ5年。まだ多くの課題解決に時間がかかっている中、岩佐さんは高速回転で世界に向けて新しいビジネスを発信し続けています。このスピードの速さこそが、地元の人を元気づけ信頼を集める理由だと思いました。

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Profile

岩佐 大輝 Iwasa Hiroki
1977年、宮城県山元町生まれ。株式会社GRA代表取締役CEO。日本、インドで6つの法人のトップを務める起業家。
2002年にITコンサルティングを主業とする株式会社ズノウを設立。2011年の東日本大震災後は、大きな被害を受けた故郷山元町の復興を目的に特定非営利活動法人GRAおよび農業生産法人株式会社GRAを設立。先端施設園芸を軸とした「東北の再創造」をライフワークとするようになる。イチゴビジネスに構造変革を起こし、大手百貨店で、ひと粒1000円で売れる「ミガキイチゴ」を生み出す。2012年11月にはインドのマハラシュト州タレガオンに先端イチゴハウスを建設。同年、グロービス経営大学院でMBAを取得。2014年に「ジャパンベンチャーアワード」で「東日本大震災復興賞」を受賞する。著書に『99%の絶望の中に「1%のチャンス」は実る』(ダイヤモンド社)、『甘酸っぱい経営』(ブックウォーカー)がある。
 

Information

農業生産法人 株式会社GRA 
〒989-2201 宮城県亘理郡山元町山寺字桜堤47
http://www.gra-inc.jp/index.html
http://www.gra-inc.jp/product/index.html

 

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この記事は2016年02月01日の情報です。 文:Yuko Tsuruoka

 

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